哲学科があーでもないこーでもない

哲学科の学生が不勉強を猛省しながらごちゃごちゃ恋愛とか人間について書いています。

優しい象はニトログリセリンの夢を見るか?

こんにちは。

辛いものを食べると100%お腹を壊す大学生です。

 

Twitterで『あなたは優しいのか冷たいのか』というハッシュタグを見かけました。

 

モテる必須条件ですよね、優しさって。

「好きなタイプ? えー、優しい人かな」

などなど、巷のイカしたボーイ&ガールが言うわけです。

 

優しさってなんやねん。

 

以下、優しい行動と思われる例です。

 

・道でお年寄りの持ち物を持ってあげる

・道を教えてあげる

・道で落し物を拾ってあげる

・道で唐突にモブフラッシュが始まっても、苦笑せずに楽しそうな顔をしてあげる

・道で唐突にモブフラッシュが始まってプロポーズ大作戦が始まったとしても、憎しみに呑まれないで楽しそうな顔をしてあげる

 

少々ふざけましたが、

大体の『優しい行動』とは、

その個人の意思にそぐわなかったり、目に見える利益が無かったしても、他者をおもんばかる行動であること。

がポイントになるかと思います。

 

じゃあ、優しくない人ってどんな人でしょう?

他者をおもんばからない人ですか?

おばあちゃんの持ち物を持ってあげない人ですか? 道を教えてあげない人ですか? 落し物拾ってあげない人ですか?

モブフラッシュにしかめつらしている人ですか?

 

なんだか例えが悪い気がしてきましたが、

正直上記の行動をしようがしまいが、

『優しくない』レッテルを貼られる必要はないと思います。

 

『優しい行動』と『優しい人』って異なります。

 

私は心理学部ではなく哲学科なので、

ここで「利己主義から真に逃れることは不可能」なんてことは言えません。

 

ある優しい行動が自身の満足感につながるから、その行動は利己的なのである…

と言えば簡単な気はします。

 

でも、利己的ではない=優しい行動、人物

ではありませんよね?

 

優しさってなんだらほいって話ですよ。

相対的な概念……仰る通りです。哲学的に考察しろよ、このダンゴムシ……仰る通りです。

そんなのどうでもいいわい……ちょっと待ってください。

 

優しさの本質、それは人間の中にあるものではありません。

私たちはある人物、生物に『優しい』と評価を下す時、

その人物の内面なんてちーっとも見ていないからです。

 

あくまで『評価』に過ぎないんです。

優しさって性質として付与されるものではなくある関係性において、相互に行き来しあうものなんです。

 

つまり相対的なんでしょ?

おまえ、前の記事と言ってることちゃうやんけ。

 

ツッコミごもっともです。

優しさの本質が『評価する/される』ものであるのだとするなら、それは非常に相対的です。

 

ただ、この相対的であるということを逆手に取るならば、

じゃあ結局優しさって何よ? と聞かれた時に

『他人を評価しないこと』という答えがあげられます。

 

個人の評価で、優しいだの優しくないだのと言い合うことは『優しい』ことですか?

 

道で老人の持ち物を持たなかった人、案内しない人、モブフラッシュにクスリともしない人、世の中優しくない人で溢れているのでしょうか。

 

実際、大抵の人って親切ですよね。

ただ親切にするだけの時間や、お金や、その他様々な余裕がないだけだと思います。

これもまた、一方的な評価なんですけどね。

 

ということで、

世の中の紳士淑女は「優しい人」なんて世の中に存在しないと心に刻み、

私と共にワンマンスーパーライフを謳歌しましょう。

 

タイトルの意味は、今や死語となった「リア充爆発しろ」をオシャレに言おうと試みたBLEACH的お遊びです。

 

爆発するのはお前の方だ!

と苛立ちあらわにコメントしてくださると、

泣いて喜びます。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!